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執筆者の写真TAKAKO KUROSU

東日本大震災3ヶ月前に

よつばメンテナンスの創業期。遠方であってもお仕事頂ける事は有り難く、2010年11月12月は宮城と福島の現場でお仕事しました。


私と夫と二人でホームセンターの点検をしていたのですが、私は仙台で高熱をだしてしまい仙台市若林区の内科を受診しました。

埼玉まで帰るのは大変だからと、心配してくださり丁寧に診ていただきました。


発熱してもまだ翌日も現場はあるので帰れないのと、かなり単価の低いお仕事だったので、宿泊費もまかなえずインターネットカフェで横になっていました。寒気でガタガタ震えながらも、処方されたお薬を飲みながら、予定されていた現場は全てこなすことができました。


最後までやり切ることができたのは、地元の方々の優しさのおかげだなと、温かい気持ちになったのを覚えています。

内科の先生や、点検先のホームセンターのスタッフの皆様など。



翌年の3月11日、忘れられない日となりました。



津波で襲われた地区の名前がでるたびに、信じられないという気持ちと、心が苦しく悲しくなる気持ちでいっぱいになりました。


診察してもらったあの内科も、あのホームセンターも、まさかなくなるなんて事は、、


普通に生活がその場所にはあって、たくさんの人が暮らしていて、本当に当たり前の日常がありました。つい3ヶ月ほど前にその街のその生活の中に私と夫は居て働いていました。



テレビに映る映像がどうしても、あの場所と同じと思えない。




何年か経った後、また仙台に仕事が入りました。どうも信じられないので、仕事の帰りにホームセンター場所に行ってみました。











何も残っていませんでした。

瓦礫もすでに撤去され

広い平らな敷地が広がっていました。







慰霊碑があったので手を合わせてきました。






災害は本当に突然、ごく当たり前の日常の中に突然やってくるのだと、改めて実感させられました。



犠牲になった多くの方々が残してくれたものを教訓として、大切に次の世代に伝えて行くことが私たち残された者の使命かと思います。いまできることを精一杯やらなければと改めて考えさせられた日になりました。





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